幸せの定義
ある日、各駅停車に乗っていたときのこと。
電車は人気のないホームで停まった。
通過待ちなのか扉は閉まらない。
すると気のせいか、トラックのバック音のような高い音がかすかに鳴っている。
つぎの瞬間、車内アナウンス。
「只今、一両目において急病人が出ております。救護中にて、しばらくおまちください。
なお車内に医療関係のお客様がいらっしゃいましたらご協力お願いいたします」
こういうアナウンスは、映画の中、飛行機などによくあるシーンだ。
車掌が一両目めがけてホームを走ってゆく。
わたしは最後尾の車両に乗っていた。
一両目は大変な騒ぎだろう。
こんなとき、もし自分だったら、野次馬されたらいやだろうな、
誰にでも起こりうることだよな、
自分が医療関係者なら協力できたのだけどな、
そんなことを思いながら、じっと待った。
10分ほどで、車掌が走って最後尾にもどる。
「お客…様に、は、大変、ご迷惑…を、はぁはぁ、おかけ、いたしました、救護活動が、
無事に終了しましたのでまもなく、発車、い、いたします」
かなりの息切れだ。
そのとき、
わたしのななめ前にいた、孫をベビーカーに乗せた祖母と若い母親の2人がクスクスと笑った。
「息切れしてるよ」…とつぶやきながら。
電車は12分遅れで発車した。
祖母と若い母親は、孫を乗せたベビーカーを引いて、これからデパートでも行くのだろう。
あなた方には、これから試着する洋服や、胃袋にはいるだろうご馳走で頭がいっぱいなのだろう。
同じ電車に、生死を分かつ苦しみを味わった人がいたというのに。
この人たちとは、幸せの定義が確実にちがうと思った。
やりきれない思いでいっぱいになった車中の出来事だった。
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