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2012年11月

旬な岡山  たたり編 その2 ~終わりよければすべてよし~

目の前に多治見家が現れた瞬間、どうやっても思い出せなかった八つ墓村の、芥川也寸志の音楽が脳内に響いた。

とうとう来たんだ…

一眼レフを山本さんに渡し、念願の山本陽子の立ち位置で写真を撮ってもらう。

もちろん小型のデジカメで動画も撮る。

写真と動画、2台で記録をする。

(声が届くなら、このときの自分に言いたい。“カメラのモードを確認しろ”と)

頭上に広がる石垣の屋敷を前に、舞い上がっていたのだ。

画像確認もおろそかに、広兼邸へ足を踏み入れる。

限られた時間の中で、それなりに満喫できた。

横溝正史ファン向けの冊子が売られていたのでそれも買った。

時刻は14時40分。

ああ、またあの道を歩いて引き返すのか…

山本さんとふたり、数組の広兼邸観光客に、車に同乗させてはいただけないか聞いてみたが、反対方向へ帰る方たちばかりであった。

仕方なく覚悟を決めて歩き出すと、うしろから農家のおじさんが、白い軽トラックを走らせてくるではないか。

ヒッチハイクを試みる。

停まってくれたおじさんの家はすぐそこ。けれどおじさん、バス停まで送ってやるよと言ってくださった。

やったー、ありがとうおじさん!と軽トラックの荷台にふたりであがる。

軽トラックは走り出すと、クネクネした道を猛スピードで走り抜ける。

怖いよー、おじさん、振り落とされる~すごい加速。

わははは笑って必死でつかまりながら片手で動画を撮る。

あー、もう早い早い。

あの歩いた道のりはなんだったんだー

ふたりで笑いがこみ上げる。

あっけなく、15分程度で着いてしまった。

終始ニコニコのおじさんに感謝。

記念に写真を撮って、手を振ってお別れをした。

時間にも余裕がでて、バスの時間までお土産を買い、ベンガラ郷土館など見学できた。

思いがけず、山あり谷ありなことが、あとで振り返ると色濃い思い出になるもんだよな、なんて

これまでの道のりが楽しいことにさえ思えてきた。

さて、17時過ぎ、無事に倉敷に戻り、前日に目をつけていた喫茶店へ入る。

何やら店の奥様は仲間とともにシャンソンの練習中。

ブレンドコーヒーをいただきながら、今日を振り返って写真を見直す。

え?!……………………

へ?!……………………

白い………………………

広兼邸、露出オーバーなり  チーン

写真は白くとんでいた。

 

脱力…

そう、原因は途中に寄り道した鉱山。

暗い洞窟の中で明るく撮るために、数値を変えていたのだ。

が、外へ出て、この先30分かかるという言葉にうろたえ、数値を戻すのをすっかり忘れていた。

だが、辛うじて小型のデジカメで動画は撮ってある。

ななめ上から、自分と多治見家を写しこんだりもした。

もうそれでいいではないか―

なんてったって八つ墓村だもの。平和には終わらないのよ(笑)

晩御飯にやきとりをいただき、岡山最後の夜を惜しみながら就寝。

次の日は午前中倉敷民芸館→岡山市へ移動→昼食→岡山城(チラ見)→後楽園(覗き見)

という忙しいコースだった。

次に来るなら獄門島コース、3泊4日はほしいねと話しながら、夕方の便で東京へ。

ここで後日談

露出オーバーで真っ白だった多治見家バックの写真がこれ。

Photo_8

もうどうにもならない。

…と思いきや、

Photo_9

  

復元できた

良かったー

データの保存方法によってはこんなことが可能なのだ。

ちゃんと山本陽子の位置に立ち、バックには多治見家が写ってる。

ただ、よーく見ると、自分の顔が死人のように青い。

もうちょっと加工しないと質の良い復元にはならない。

これでは自分の顔が八つ墓村だもの(笑)

旬な岡山  たたり編その1 ~無計画な珍道中~

さて二日目、目指すは八つ墓村(笑)

物語のモデルになった実際の村落(津山)ではなく、野村芳太郎 監督映画の撮影場所。

「吹屋ふるさと村」、ベンガラ色の家並みが特徴の地域にあるという。

倉敷駅から伯備線で30分、最寄り駅の備中高梁駅に到着したが、バスの時間までにまだ1時間半ある。

それならばと備中松山城へ。タクシーの運転手さんが道中いろいろガイドしてくれた。

寅さんのヒロシの父(志村喬)の家として撮影された武家屋敷などもあった。

途中でタクシーを降り、息を切らして山の頂上の天守閣へ登った。

城主はほとんどこの天守閣へあがることはなく、山裾の屋敷で暮らしていたらしい。

バスの発車時刻がせまり、駅に戻っていざ吹屋ふるさと村へ。

この田舎の駅からさらに50分、バスに揺られて山奥へ進む。

横溝映画の中でもいちばん象徴的な、「八つ墓村」の多治見家、あの高台に立つ、石垣のあるお屋敷をこの目で見る日がやってきた。

岡山へ旅立った日から、八つ墓村の映画音楽が思い出せなくなっていた。盛り上がるためにも、到着するまでにはなんとか思い出したいところ。

映画の中、屋敷前の坂の途中で、“ショーケンと小川真由美の到着を待つ山本陽子の姿”が焼きついていて、その音楽を脳内で流しながら、迫力の多治見家を生で見たかったのだ。

多治見家は「広兼邸(ひろかねてい)」と言って、岡山県高梁市の保存建造物だそう。

1時間近くバスにゆられて到着した吹屋ふるさと村は、5件ほどしか店が開いておらず(そのうちふたつは郵便局と郷土館)、観光客も2~3組しかいなくて穴場すぎることに感動。

ベンガラ色の町並みに見とれながら、帰りのバスを確認すると、15時40分が最終バスであった。

早すぎる。

今日一日、この地を満喫しようと思っていたのに。

駅からの始発のバスが10時40分。12時近くに到着して、復路の最終バスまでに3時間半しかないなんて。。

村にたった2件しかない定食屋で腹ごしらえして、もう12時30分をまわっている。

定食屋でもらった「ふるさと村地図」を広げると、ベンガラの家並みの通りを中心に、端のほうに広兼邸が記されている。うん、歩いてもわけない距離だ。

(…ここで安心してしまったのがいけなかった)

まずは吹屋小学校を見学。圧巻の明治の木造小学校。おじさんに話しかけられたりする。

Photo_3

Photo_4

今年の3月末まで、現役だったらしい。

ゆっくり、のんびり時間を過ごす。

(このときの自分に言いたい。“先を急げ”と)

地図を見ながら起伏のあるだだっ広い道を歩く。地図上で今歩いてきたベンガラ通りの縮尺からすると、広兼邸まであと15分くらいか。

それから20分くらい歩いただろうか、地図に疑問を持ち始めながら、笹畝鉱山入り口があるので、せっかくだから入る。

(このときの自分に言いたい。“だから先を急げ”と)

鉱山から出て、受付のおじさんに広兼邸への道を確認すると、

「歩いて行くの?いやーあと30分はかかるよ」

「…………」

「…………」

「…………」

どうやら、手にしていた地図は、広兼邸までの道をかなり省略して描いていたようだ。

距離も時間も何も記されてはいなかった。

早すぎる最終バスまでの残り時間は?

八つ墓村のため、多治見家のために岡山にきたんじゃないか!

ここで引き返してたまるか。

このときすでに時刻は13時40分をまわっていた。

タクシーなんてない、さらにひたすら歩くこと30分。高台に立つ感動の多治見家はついに姿を現した。

つづく

旬な岡山  初日編

横溝正史原作の映画が好きだ。

7月の個展でも、「金田一シリーズにみる女たち」というB3パネル3枚綴り作品を飾った。

戦時中、横溝正史が倉敷市に疎開していたためか、物語の舞台は岡山県が多い。

オカヤマオカヤマ考えていたら、なんだか今「岡山県」が熱いんじゃないかとひとり心を馳せるまでになった。

そんなある日、コム・イラストレーターズ・スタジオのお友達の山本恵未さんに横溝の話題を持ちかけると「岡山いいよね~!」とおっしゃるではないか。

山本さんは倉敷の民藝館に行きたかったそうで、「じゃ一緒に行こうよ」と、

今話題の観光地でもなければ秋を楽しむ行楽地でもない場所へ、好んで出かけようと言ってくれたのだ。

願ってもない岡山フィーバーだ、こりゃ滅多にないことだと、込み入ったことは考えず、急所旅行の予定を入れることにした。二泊三日、遠出するのは何年ぶりか。

Photo

当日、飛行機はあっという間に“あの岡山”へ運んでくれた。

バスで一路、倉敷市へ向かい、スケジュール通り動けるか心配しながらのスタート。

初日はまず倉敷美観地区にて食事。ゆっくり美術館やらを見て、倉敷川で船に乗ったりでもう辺りは暗い。

朝6時45分に家を出て、空港9時待ち合わせの11時着。着いたのが昼近くなのだから無理ないか。

夜は親父系の飲み屋を探して歩いてると、昭和30~40年代くらいに開店したようなお店を発見。間口の割りに広々している。

気さくな店員のお姉さんが、花びらの酢の物をサービスで出してくれた。おいしい。

岡山の名物のままかりも食べ、明日に備えて21時過ぎにはホテルに帰る。

ここまでスルスルっと予定を終えてしまい、簡単過ぎて本当に“あの岡山”に来ているんだろうかと終始自分に確認する始末。

明日は私のお目当ての場所に行く日。きっとここへ行けば実感がわいてくるのだろう…という淡い期待を胸に、事はスムーズに運ばないことを、このときはまだ知る由もなかった。

…就寝…

つづく

記録

最近はジェームズ・アンソール展やら小村 雪岱展、江戸の判事絵などを観に出かけた。

そして、「日本の70年代」という展示を観に埼玉県立近代美術館へ。

大阪万博のせんい館のコーナーが良かったなぁ。

その美術館のある公園内に、黒川紀章氏の中銀カプセルタワービルの一室が設置してあったので、デジカメに収めていた。

Photo_2

丸窓の向こうをおばちゃんが行く。

おばちゃん、建物(カプセル)左脇を通り過ぎてゆく、が…

Photo_3

私が反対の窓に移動し、また撮り始めるとそれが気になったらしく、

ちらちら振り返りこちらに戻ってきた。

すると向かいの窓のそとに立ち尽くす。

Photo_5

しばーらく立ち尽くす。

この間、とぼけて何枚かシャッターを切る。

面白い絵だ、うんうん。

しかし、まだまだ退かない。

Photo_6

お、やっと退いてくれたのね。

Photo_8

今度はこっちかい!

と、慌ててシャッターを押す。油断しちゃったぢゃないか。

途中からおばちゃんの経過を楽しんで撮り、落ちまで加えてみた。

さて、わたしが帰ろうとそこから離れると、おばちゃんは携帯電話で撮影をはじめた。

なんだ、わたしも邪魔だと思われていたのか(笑)

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